古い伝統の礼譲に敬礼するのであった。彼は何故とも知らぬ哀愁を感じてうなだれる。
レムブルグの愛情が彼を慰めるように、
――妾の最愛の子供! 妾達がこれからの悪い運命を待つために妾は貴方のためのよい信心家になるのです。
「お寝《やす》みなさい。」と云うと、彼女の靴音が暁前の静寂を遠のいて行った。米良は緑の窓硝子を透いて地平線の彼方、数理的な朝の太陽に銅鑼湾の火薬庫の壁が傾いて見えるなかを、露国飛行家の操縦するらしい単葉機が空中に水のような光を発して広東の方角に引返して行くのを見た。
米良は再び寝床の中にもぐると、今一度シイ・ファン・ユウの電報を開いて読むのであった。この一枚の白い花が彼の唯一の陳子文の死骸へのたむけであった。西欧人に比べて東洋人は生命を苦もなく棄てるのであるが、陳子文の死には過去から現代の過程のなかに生きる近代的な苦悶の潜んでいたことを米良は知るのである。彼の魂の過去への物持ちが奔逸《ほんいつ》な現実的な近代主義に打克つことができなかった。理想主義が伝統に敗れたとき彼の理智が無記銘な現在から彼の生命を奪ってしまった。人間が感情の困難に遭遇するときつねに頭角をあらわす
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