破裂して数十名の死傷ができると時刻を同じくして碼頭《まとう》苦力《クリー》が暴動に参加した。上海の猥褻《わいせつ》な写真帳が閉じられ、四馬路に人気がなくなると市街の電気のスイッチが切られ全市は暗黒になった。秘密結社から送られた大規模な陰謀が全市に配置されるのであった。
市内に行われていた全ての過去から続く催し物に喪《も》が発せられ、結婚式の美しい半裸体の夜半の女の背中に機関銃の弾で穴だらけになったソビエットの赤い旗が迫って、宣伝隊の装甲自動車が租界内に侵入して宣伝ビラを配付した。マジェステック・ホテルの一室には、南北戦に於て南軍が明光を占領、定遠の包囲攻撃の報を得て徐州に迫る南軍の総師として戦線に出る蒋介石《しょうかいせき》が、寝間着姿の婚約者と別離の笑談を交していたのが暗《やみ》に紛れて潜かに租界の安全地帯に逃れた。幾組かの拳銃隊が街の要所々々を発砲し、欧米人によって築かれた南京路のペーブメントは要撃された。永安公司の屋根の上の星が南京玉の八角灯のように騒乱の巷に輝いていた。
機関銃の音が静寂を破って響き渡るたびに人々は黙々として家屋の囲壁《いへき》のなかに自己を守護するのであった。こうして数刻を経た後ガロンは共産軍を組織し、陳独秀の率いた工人と苦力の暴民を合して南北の橋路に支那軍隊と衝突して河畔に対峙《たいじ》し遂に市街戦となり、各国の陸戦隊が出動して共産軍は撃退され、一時間後上海は平穏に還った。
しかしこのあわただしい推移は単なる市街戦の終局ではなかった。この事件は洪秀全の太平天国以来[#「太平天国以来」は底本では「大平天国以来」]組織的に築かれた支那共産党の一つの滅亡であった。
三民主義の進出とソビエット・ロシアの東方政策の破綻《はたん》となったのだ。武漢にいる、※[#「登+おおざと」、第3水準1−92−80]演達等の同志に危機が迫り、ボロジンが南昌に去ると、唐生智は反共産となり、武漢派の共産派軍隊は楊森軍のため敗れ、夏斗寅軍は武漢の背後城外の洪山を占領して武漢政府にボロジン、ガロン等の引渡しを求めるに及んで共産分子は上海に逃れ、唐生智は南京と結び共産派にクーデターを行い、支那共産派は崩壊した。上海に於けるガロン、チルキンス、陳独秀等の赤色テロリズムの敢行によって二十世紀の支那の赤い花が散り落ちた。
リー・シー・ツワンは広東にあって時態を先見して
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