市債の抬頭《たいとう》等の変化を見せたが、国内における購買力の減少は、街から街に黄濁の切断面をつくった。
この界隈の連合委員会の事業振興の決議案にもかかわらず、閑散とした取引市場をとりまいて、日一日と失業者と、彼らの飢えが生産余剰と反比例して街の広場に堆積《たいせき》して行った。
女タイピストが薔薇の花のついたガーターを、私の眼前で、わざと見えるような位置に脚をくんで、五色のおらんだ煙草をくわえた真紅な唇をゆがめると、細い橋を、熟練した工兵のように室内に吐き出した。
この社長室に父が出現するにはまだ一時間の猶予があったので、韻律を踏むように、私は彼女に近づくと、
「――君は不景気に処する道を知っていますか? それとも、君は他の女と異った意見をもっていますか。」
「――商業地の真ん中で、水入らずにそんな謎のような話をするものじゃありませんわ。あなたのような方は、この銀安を遁《のが》さず上海《シャンハイ》にでも行って金貨のありがたさを味わってくるんだわ。今朝の新聞では日本向カワセ相場は九六|両《テール》四分の三、千の寝床を得るのはお安いとこが経済ってものだわ。」
摩天楼《まてんろう》の鏡の面からつやぶきんをとるために、私は、藍色のカーテンで市街に向ってひらいた窓を閉ざすと、
「――それよりか、君のコオセット・ボタンがいくつあるか計算さしてもらいたいもんだね。」
「――あなたは図《ず》う/\しいのね。」
コミックの女のように肩をゆすって彼女は立ち上ると、部屋の把手《ハンドル》をあらあらしく廻した。
「――少し待ってくれ。スカートの短い女のまえで自殺する男にたいするご意見は?」
陽気に、口笛を吹いて女タイピストが踵《きびす》をかえした。
「――妾だったら、自殺するかわりに結婚するわよ。」
「――政府じゃないが緊縮してまでもか。」
「――あら、快楽のためにはフォードだってかまわない、山間を疾駆《しっく》するじゃありませんか。」
5
ところが、
午後になると――資産家。重役。月給取。靴磨き。タイピスト。薄給の教員。それ等の人間が急行列車桜、高速力巡航船、ホテル、トーキー常設館、オフィス、レストラン、冬期競馬場、少女歌劇場、それらの場所にいたあらゆる階級人が、驚愕《きょうがく》するような事件が勃起《ぼっき》した。
それはアメリカ資本主義に崩壊の徴《しるし》があらわれたことであった。何もののために――プロレタリアの巨弾によってであろうか? ところが、アメリカにおけるプロレタリア自身、パニックの最中において米国産業組織の同伴者であった。すると、犯人の武装を解除して見よう。
犯人は英国の大銀行団と、その背後のフイナンシャーであった。
後日になって、倫敦《ロンドン》のサンデー・ビクトリアル紙は左の如く当日の模様について述べた。
(ウォール街は、過去において吸いあげポンプと化していた。世界の資本を呑みこみ、その跡に到るところ空洞を生ぜしめた。倫敦市場のみでもその地理書をひもとくまでもなく、一日数万の米国株式の売買があった。巴里《パリー》、伯林《ベルリン》、ブラッセル、アムステルダム、何《いず》れも電信の速力は一杯にウォール街に資金を流入した。大西洋北岸の富の余剰《よじょう》はいまや米国株式に変形したと歎《たん》じさせた。このウォール街にも遂《つい》に破局があった。財界|平衡則《へいこうそく》に反した信用のインフレーションは英蘭《イングランド》銀行の利下げとともにその崩落の道をたどった。云々。)
英国金融資本が、米国産業資本に強靭《きょうじん》な波瀾《はらん》をまきおこしたために、米国資本を背景とした商工都市大阪は、ウォール街を恐怖がおそうと同時に、赤鼻女の野暮なアメリカの衣裳をつけて財界の迷路に立った。
また、銀塊《ぎんかい》相場を暴落させた、ワシントンの要路の背景にあったものは、誰か。
一九二六年、恐慌状態にあった銀塊市場にたいして、英領|印度《インド》において組織された印度貨幣金融委員会が、一九二七年三月二十七日、三億五千万オンスの銀持高をもって、ルーピーの新貨幣制を決定した。その背後にあって英国当局者は銀売、金買いの機微な策略によって今日を期していた。
資本主義戦争の尖端《せんたん》を行くもの、これも、犯人は英国であった。
突然、電鈴が私の耳に亀甲町にある、綿花綿布倉庫会社の事業停止による賃金不払のため、従業員のストライキを報《し》らせた。
だが、諸君。
これは何んのためのストライキだ。
6
夜になって襲来した暴風雨が、街から灯火を奪った。
午後と、午前の境界にもかかわらず、ラジオが、倫敦から放送される歌謡を伝播《でんぱ》していたのを疾風のなかで私は嚥《の》み下した。ココア色
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