吻したのですが、それについて彼女は、
――あなた、忘れてはいやだわ。と、言うのでした。
翌朝、夙川のアパートメントの独身部屋をノックする音で私は眼ざめました。私はチェンバーメイドが新聞でも持ってきたのだと思ったのですが、這入ってきたのはチタ子でした。彼女は黙々として寝台の枕もとに立っていましたが、しばらくすると寒さのために震えながら私の××に這入ってきました。」
チタ子の父が苦しそうに咳をした。贅沢な機械でも見るやうに刑事たちが彼女を見たが、チタ子は憂鬱そうに、胯《また》火鉢した男の破れた靴下をみつめていた。
「――午後から神戸へ阪急電車で私はチタ子を連れて行きました。私は海岸通りの女理髪店で、彼女に断髪するように勧めてみました。チタ子は断髪にしたうなじを紺色の海にむかってこころよさそうに左右に振って見せました。私は元町通りの海外衣裳問屋で極彩色の身の廻りのものを二、三買ってチタ子に与えました。そこから私は彼女を連れて、白首女の蝟集《いしゅう》する裏町へ行って、チョップ・ハウスのサルーンで、一夜そこの踊子たちの仲間入を彼女にさせました。チタ子はホルマリンの臭のする、平気で汚い紙幣と交換される踊子たちの貞操帯の中で、私と他愛もないことを喋りながら一夜を明かしました。
翌日になって再びチタ子は私のアパートを訪れてきて、当分、私から離れたくないと言ったのです。既に私はチタ子の淡々とした気もちが好きなっていましたので、別に不快は感じませんでしたが、一応帰宅をすすめてみました。すると彼女は家庭と自分とは独立していると主張するので、私はチタ子と同棲生活を始めたのです。」
すると万年筆と手帳とを持った警部は、チタ子にむかって訊問した。
「――お前は、彼が唯今言ったことを認めるのか。」
チタ子は、その問いにたいして明瞭に答えた。
「――この人の言った通りです。それに妾のしたことは、妾、格別わるいこととは思っていません。」
刑事が、失神したように蒼褪《あおざ》めた彼女の父と、チタ子を別室に連れて行った。老警部が私に言った。
「――君は彼女と結婚する意志はないか?」
「――結婚する必要がありません。」と、私がそれに答えた。
警部が黙々として去ると、他の刑事がにやにやわらいながら部屋に這入ってくると、
「――おい、うまくやってるぜ。告訴は取下げるそうだ。だが、今後は断然あ
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