結構、妾にはそれがだれだか分っているのさ。」
疑うように女記者が彼女の顔をのぞいた。しかしミサコは冷却した女のようにことばをつづけた。
「あなたにお願いと云うのはね、妾の同業の厚化粧ぐみをね、彼奴《あいつ》たちはどうせろくなことはやらないのさ。」
「まったくですわ。ねえ、マダム。」
「妾は正道をあんたも知っているように歩んでるわ。だからさ。妾はあんたのような正しい心をもった女らしい人が好きなのさ。」
「あら!」
太田ミサコはとっさに、はにかんだ女記者のまえに二、三枚の紙幣をとりだすと、
「これ、手附さ。あいつ達のネタを一週間以内にもってくれば手附の十倍の報酬を進呈するわ。」
「売りこむのは?」
「××の夕刊新聞。」
ふたたびミサコは肥大した女を威喝《いかつ》するように女記者に云った。
「あんた、もし裏切るようなことがあれば妾がどんなことをする女か知っている?」
太く短い女は立あがると、いらいらして部屋を踵《かかと》のない靴であるいた。やがて落ちつきをとりかえすと女記者がこたえた。
「では、さようなら。マダム。」
「さようなら。あんたは、たのもしい方だわ。」と、彼女が云った。
しおれた女の足音が遠のくと、ミサコは女記者が青バスに太い拳をさしあげるのを見た。ふたたびカーテンを閉すと、強大な彼女の自信が昨夜からの疲労のために惨めにもくずれ始めた。
4
一刻後、太田ミサコはタクシーのクッションにもたれて官省広場の並木道を疾走していた。大島のかさねを黒いコートでつつんで、リスの毛皮を左乳に垂らした、頬紅をささない蒼白な厚化粧の女が、いつも一点をみつめ前後の気配を感ずる都会の女の乗った車が、中央九番街のクロス・ワード模様の東洋銀行のまえで停止すると、彼女のフェルトの草履《ぞうり》が石畳を踏んで衣服の黒い裾裏が地上を流れる風にはねかえった。
ミサコが廻転扉から出納口につかつかと進むと、コケットな彼女の嬌態《きょうたい》に狼狽《ろうばい》した行員が自覚を失った指先で紙幣をかきあつめた。奥の大|卓子《テーブル》の支配人が彼女にかるく会釈をかえした。一枚の小切手が一かたまりの紙幣となって出納口からでてくると、銀行を背負ったような女は、ふたたび銀座方面へガソリンの尾を曳《ひ》いた。彼女の傲《ごう》がんなこころがすこしの反省もなく、イズモ町の彼女経営の流行品店を素通りして、築地河畔のコルビジェ風のアパートメントの一室を訪れた。雑誌『流行』の宣伝部長のカリタは、ミサコを自室に案内すると、隣室の同棲者に三人の食事を云いつけた。
ミサコはお互の少時間の自由を、対岸を流れる濁水《だくすい》に眼をうつして云った。
「あんた、妾妊娠したかも知れないわ。」
「そんなこと、不思議なものか。あんたが奥さんである以上は。」
彼女が片眼をつむって、白魚のような指を鼻にまいて、「あんたの、ベビかもしれなくってよ。」
「すると。」
「妾うれしいわ。」
カリタが礼儀ただしく立ちあがって食堂の扉を開いた。彼の同棲者が微笑しながら二人を迎えると、三人が食卓をかこんだ。シークな部屋であった。
飛行機が蒼空を踊り靴をはいて通過した。首からぶらさげた三角のナフキンに、茶褐色の斑点をつけてミサコが云った。
「マダム、カリタは妾のことをどう思っていてくれますでしょう。」
彼の同棲者の細い首が食卓の魚の尾に傾いて、
「おくさま、カリタはいつもミサコさまのことを可愛いい天使だと申しております。」
「まあ、うれしい。」とミサコは艶然《えんぜん》とわらうと、
「妾の困難な仕事も妾の道徳的な突進も妾の女馬鹿もいつもカリタの近代人らしい截断によって世間に通用するんだわ。」
すると、『流行』の宣伝部長は化粧した冷酷な顔に鼻眼鏡をかけながら、
「そうさ、俺達の友情はこの東京で育つに工合がいいんだ。お前ミサコさんに世間ありふれたお粗末な友情でおつきあいしては不可《いか》んよ。」
「分っているわよ。」と、彼の同棲者が意味ありげにこたえた。
5
イズモ町の太田ミサコ経営のポール流行品店では、早朝から商品窓のマネキンに黒山のような人だかりがしていた。入口の勘定台の女の鋼鉄のような指が動くたびに、金銭登録器がすばらしい音をたてて開閉した。そこから一列に輸入品の帽子が並べられて、その後で職業女の赤い唇がひらいたりしぼんだりした。左右の陳列棚にはスペイン・ショールや夜会服が模造人形に装飾されて、その下に並べられた化粧品からは嗜好的な香が発していた。
奥の三面鏡にはたえまなく綺羅を着かざったブルジョワ婦人が、三面鏡があたえる美化された三つの姿態に惚れ惚れと見ほれてしまった。すると女のような外交員が、もみ手をしながらおきまりの讃辞を役者のようにしゃべりだした。それが二
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