催されていた、植民地博覧会に、東洋曲芸団の花形として出演していました。観客は私のことをプチトアナコと云って人気者だったのです。ロダンさんはコート・ダジュールの華美なノアイユ旅館から、度々妾のお芝居を見にいらっしゃったのだそうです。妾達が最初におあいしたのは、カバレット・トアズンドルの舞踊会でした。妾は支配人と一座のジョージ・佐野(妾はこのアメリカ生れの日本人を愛していたのです。)に連れられて、歌劇の女がカカオを喫しているフランスの香のなかに哀愁的な東洋女の花を咲かしたのです。カバレット・トアズンドルの舞台では、ターバンを巻いた印度人が、細腰のヒンズー女を抱いて、宗教的な怪奇な踊りを舞っていました。妾は、皮膚の色|褪《あ》せた波斯《ペルシャ》族、半黒黒焼の馬来《マレー》人、衰微した安南の舞姫の裡《うち》にあって、日露戦争役の小さい誇を、桜の花の咲いた日本の衣服に輝かせていました。
妾は青い窓から、マルセーユ岸壁の遙かに淡く浮き出た神秘なシャトウ・ド・ディフの牢獄の島を眺めているうちに、故国の姉を憶い出して感傷的になっていました。咏嘆《えいたん》的な音楽が奏でられ、スカートの長いフランス
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