てしまったのです。眼の前に黒い雲のような緞帳《どんちょう》が下りて来て、佐野の姿が消えると妾は意識を失ってしまいました。
ロダンの遺言
数年後、欧洲大戦乱が勃発して、伯林《ベルリン》にあった妾は一座を解散して、単独でムウドレのロダンさんのお室に身を寄せました。一九一四年|独逸《ドイツ》軍はマルヌを渡って巴里《パリ》が陥り、内閣はボルドウに移ったのです。ロダンさんはロオズ夫人と妾を連れてカレー港から、ドーバーの港に着のみ着のままで避難しました。英仏海峡の難避者《なんぴしゃ》を満載した船の上で、過去の傷ましい事件が私の記億を新たにするのでした。モナコの賽《さい》の目に現れた不吉が、佐野を行方不明にしてしまい、妾は傷の癒《い》えるまでニースの赤十字病院にロダンさんの手厚い看護を受けました。傷が癒えると再びオテル・ド・※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ロンのバルザックの寝巻姿のあるアトリエに妾は姿を現したのです。併し、当時妾の心の悩みは屡屡《しばしば》佐野の幻影に攪乱され、ひどく妾の心身の疲れてるのを心配して、ロダンさんは妾にモスコー行きをお薦めになりました。そこで妾はモスコーの後援者の或公爵夫人のところに当分身を落着けたのです。妾は公爵夫人の御親切で、ツアールの巨鐘《きょしょう》の殷々《いんいん》たる響きをききながら、クレムリン宮殿附近の邸宅で数ヶ月を過した或日、ロダンさんからのお手紙で、あなたの健康のよくなり次第巴里に帰って貰いたい。花子《アナコ》の首は自分の最後の作として一日も早く製作にとりかかりたい、というお言葉だったのです。妾はロダンさんのお手紙を見ると巴里に魅いられたもののように、直ちにモスコーを出発して、バルザックの寝巻姿のあるオテル・ド・※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ロンに帰って来ました。今や妾にとって、バルザックの像は、妾の生命だったのです。バルザック像に対する妾の信仰が唯一の佐野に対する妾の追悼でした。そして遂に妾は、妾の記憶の裡《うち》から佐野を葬ってしまったのです。
幾年かの後、花子《アナコ》の恐怖の首は完成されました。ロダンさんは妾の魂を粘土の塊の中に、移すことに成功なすったのです。バルザック像の影を作ることが、自分の精神的な永遠を表明し、それをオテル・ド・※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ロンに残すことが出来たの
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