れると世論は沸騰して、ロダン後援会の人々でさえ呆然としてしまったのだそうです。人々はロダンの精神状態を疑い、モンマルトルの寄席では喜劇にまでこれを使用し、ロダンを揶揄《やゆ》したのです。文芸家協会は作品の受取を拒否し、サロンはその撤回をロダンさんに迫ったのですが、ロダンさんは沈黙して自分の意見を発表することはなさらなかったのです。こうして寝巻姿のバルザック像は完成と共に、ロダンさんの部屋でロダンさんの自己となったのです。そして、芸術の単純化された姿は、ロダンさんの生命となったのです――。
ロダンさんはモデル台で、彫刻の裡に潜む自然の力に打ち負かされて偶像のように立っている妾に近づいていらっしゃると、妾のウェイスト・クロスをおとりになったのです。そして妾は、それを拒否する理由がなかったのです。妾の人格はロダンさんの偉大な人格の力のなかに犇《ひし》と棲《す》んだのです。
そして、その時ロダンさんは妾に仰有ったのです。
「愛《あい》する花子《アナコ》。貴女はわしの意中を理解されたようだ。このバルザック像であるが、わしはわしの生命の影が欲しいのだ。|小さい花子《プチト・アナコ》。わしは貴女を愛する。貴女によって、わしはわしの生命の影を作りたいと思うのだ!」
モナコの悲劇
ジョージ・佐野に、妾の内部的な魂の推移は分かる筈はなかったのです。それから妾はオテ・ド[#「オテ・ド」はママ]・※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ロンに通うことを、妾の一生の価値ある仕事として、云いしれぬ喜びを持つようになりました。
いまや妾は、理智的な女性だったのです。併し、妾の理智は、ロダンさんの芸術の中に移り棲んだのです。こうしたデリケエトな女の心が、大陸生れの佐野に感じることは不可能です。彼は魂の脱穀《だっこく》となった妾の身体《からだ》を抱いて、捕えがたい悪夢に陥って行きました。
彼は妾の沈黙の裡《うち》に、悪い幻影を掬《すく》って、それを追求したのです。そのうち妾達の曲芸団は再び旅興行へ出ることになって、妾達がモンテ・カルロに出発する前日、妾はペル・※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ュウ村のロダンさんの、お家に招かれました。その間、幾個《いくつ》かの花子の首の試作品がオテル・ド・※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ロンのアトリエに出来つつあったのでした。
ロダ
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