るの罪に帰する。東洋哲学を研究して西洋哲学と比較対照して、そしていっそう進んだ哲学思想を構成するということは、東洋人としては最もその方法を得たものと考えられる。殊に、インド哲学、その中でも支那、日本に発達した仏教哲学の中に大いに哲学上考慮すべきものがある。またわが国の伝統的精神すなわちかんながらの道を疎外すべきではなかろうと思う。ところが東洋の哲学を咀嚼《そしゃく》しないで単に西洋の哲学の受け売りをして、翻訳的、紹介的に煩瑣なる羅列を試み、鸚鵡《おうむ》的にくり返すというような状態で、真に活躍したる哲学的精神の甚しく欠乏したことに驚かざるを得ないのである。殊に、宗教や倫理の範囲においてはいっそう東西洋の哲学的史実を頭にもって、これを咀嚼し、これを消化して、さらに前途に発展してゆく抱負がなくてはならぬ。それゆえに自分は西洋の哲学を攻究するとともに東洋の哲学の研究を怠らず、両者の融合統一を企図することをもって任とするように力めた次第である。この方法論は自分が最も有力に思想界に向って主張してきた点であるから、あわせてここにその大要を論じておく次第である。
底本:「現代日本思想大系 24
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