と日本の歴史以前の諸先住民族の中にはそうした漂流者の群が存外多かったかもしれないのである。
故意に、また漂流の結果自由意志に反してこの国土に入り込んで住みついた我々の祖先は、年々に見舞って来る颱風の体験知識を大切な遺産として子々孫々に伝え、子孫は更にこの遺産を増殖し蓄積した。そうしてそれらの世襲知識を整理し帰納し演繹《えんえき》してこの国土に最も適した防災方法を案出し更にまたそれに改良を加えて最も完全なる耐風建築、耐風村落、耐風市街を建設していたのである。そのように少なくも二千年かかって研究しつくされた結果に準拠して作られた造営物は昨年のような稀有の颱風の試煉にも堪えることが出来たようである。
大阪の天王寺《てんのうじ》の五重塔が倒れたのであるが、あれは文化文政頃の廃頽期《はいたいき》に造られたもので正当な建築法に拠らない、肝心な箇所に誤魔化《ごまか》しのあるものであったと云われている。
十月初めに信州へ旅行して颱風の余波を受けた各地の損害程度を汽車の窓から眺めて通ったとき、いろいろ気のついたことがある、それがいずれも祖先から伝わった耐風策の有効さを物語るものであった。
畑中に
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