適当な防止策が行われ、また最も甚だしく風水害を被《こうむ》った三千百五十九家のために「開倉廩賑給之《そうりんをひらきてこれにしんごうす》」という応急善後策も施されている。比較的新しい方の例で自分の体験の記憶に残っているのは明治三十二年八月二十八日高知市を襲ったもので、学校、病院、劇場が多数倒壊し、市の東端|吸江《きゅうこう》に架した長橋|青柳橋《あおやぎばし》が風の力で横倒しになり、旧城天守閣の頂上の片方の鯱《しゃちほこ》が吹き飛んでしまった。この新旧二つの例はいずれも颱風として今度のいわゆる室戸颱風に比べてそれほどひどくひけをとるものとは思われないようである。明治から貞観まで約千年の間にこの程度の颱風がおよそ何回くらい日本の中央部近くを襲ったかと思って考えてみると、仮りに五十年に一回として二十回、二十年に一回として五十回となる勘定である。
 風の強さの程度は不明であるが海嘯《かいしょう》を伴った暴風として記録に残っているものでは、貞観よりも古い天武天皇時代から宝暦四年までに十余例が挙げられている。
 千年の間に二十回とか三十回といえばやはり稀有《けう》という形容詞を使っても不穏当とは
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