鴉と唱歌
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)年老《としと》った

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)時々|仔細《しさい》らしく

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](昭和十年二月『野鳥』)
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 帝劇でドイツ映画「ブロンドの夢」というのを見た。途中から見ただけではあるし、別に大して面白い映画とも思われなかったが、その中の一場面としてこの映画の主役となる老若男女四人が彼等の共同の住家として鉄道客車の古物をどこかから買って来るという事件がある。そうして、若い娘と若い男二人がその奇抜な新宅の設備にかかっている間に、年老《としと》った方の男一人は客車の屋根の片端に坐り込んで手風琴《てふうきん》を鳴らしながら呑気《のんき》そうな歌を唄う。ところがその男のよく飼い馴らしたと見える鴉《からす》が一羽この男の右の片膝に乗って大人しくすまし込んでいる。そうして時々|仔細《しさい》らしく頭を動かしてあちらを向いたりこちらを向いたり、仰向《あおむ》いたり俯向《うつむ》いたりするのが実に可愛い見物である。しかるに、不思議なことには、これが老人の歌の拍子にうまく合うように律動的に頭を動かしているように見えるのであった。もしや錯覚かと思って注意してはみたが、どうも老人の唄の小節の最初の強いアクセントと同時に頸《くび》を曲げる場合が著しく多い事だけは確かであるように思われた。してみると、この歌のリズムがなんらかの関係で、直接か間接か鴉の運動神経に作用しているらしく思われた。
 しかし、これだけでは鴉が音の拍節を聴き分けるという証拠には勿論ならない。第一、この映画を撮影している人々が画面の此方《こっち》に大勢いるはずである。その人々の中であるいは指揮棒でも振って老人の歌の拍子をとっているコンダクターがいるかもしれないとすると、鴉はその視覚に感ずるある運動する光像のリズムに反応しているのかもしれない。あるいはまた、誰かわざわざ鴉にそうした芸当をさせるために骨を折って何かしら鴉の注意に働きかけているのかもしれないのである。それよりも、もっと直接に、唄っている老人の膝自身が歌の拍子に従って動くために鳥の神経にそれだけの刺戟を与えているのかもしれない。尤も映画で見られるほどの運動は老人の膝に認められな
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