あと》でも、今度は一箇所ですんだが、この次には、これが何箇所にもなるだろう。それから、今度の地震にはなかった新しい仕掛けの集団殺人設備が、いろいろ出来ているだろう。たとえ高圧水道が出来ていようが、消防船が幾台出来ていようが、おそらくそんなものは何にもなるまい。それが役に立つくらいなら、今度だって、何かあったはずである。
 もし百年の後のためを考えるなら、去年くらいの地震が、三年か五年に一度ぐらいあった方がいいかもしれない。そうしたら、家屋は、みんな、いやでも完全な耐震耐火構造になるだろうし、危険な設備は一切影をかくすだろうし、そして市民は、いつでも狼狽しないだけの訓練を持続する事が出来るだろう。そうすれば、あのくらいの地震などは、大風の吹いたくらいのものにしか当るまい。

         十五

 科学を奨励する目的で、われわれが誠心誠意でやっている事が、事実上の結果において、かえって正しく科学の進歩を妨害しているような悲しむべき場合が、全くないとは言われない。これは、注意していなければならないことである。
 浅薄な通俗書籍雑誌の濫出、新聞紙上に時々現われるいかがわしいいわゆる「世界
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