場へピッツバーグやスケネクタディあたりから、見習職工が集まって来るようになったら、そうしたら、一切のこういう問題はなくなるだろう。
 米国の排日法は、桐の一葉のようなものである。うっかりしていると、今に世界の方々の隅から秋風が来る。

         十二

 日本人のした学芸上の仕事で、相当に立派なものがあっても、日本人の間では、その価値は容易に認められない。たまたま認めている人はあっても、たいてい黙っている。認めない人は、たいてい軽々にくさしてしまう。ところがその仕事が、偶然にでも、西洋で認められて、あちらの雑誌にでも紹介される。すると、その仕事の本国における価値が急に高まるのである。ちょうど反古《ほご》同様の浮世絵が、一枚何千円にもなると同様である。それと反対に、もし外国の雑誌にでも、ちょっとした、いい加減な悪口でも出ると、それがあたかも非常な国辱ででもあるように感ぜらるる。
 こんな心細い状態が、いつまでつづくのだろう。

         十三

 日本橋その他の石橋の花崗石《みかげいし》が、大正十二年の震火災に焼けてボロボロにはじけた痕《あと》が、今日でも歴然と残っている
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