鑢屑
寺田寅彦
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)自分の宅《うち》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](大正十二年十月『週刊朝日』)
−−
一
ある忙しい男の話である。
朝は暗いうちに家を出て、夜は日が暮れてしまってから帰って来る。それで自分の宅《うち》の便所へはいるのはほとんど夜のうちにきまっている。
たまたま祭日などに昼間宅に居ることがある。そうして便所へはいろうとする時に、そこの開き戸を明ける前に、柱に取付けてある便所の電燈のスウィッチをひねる。
それが冬だと何事もないが、夏だと白日の下に電燈の点《とも》った便所の戸をあけて自分で驚くのである。
習慣が行為の目的を忘れさせるという事の一例になる。
二
雨上がりに錦町河岸《にしきちょうがし》を通った。電車線路のすぐ脇の泥濘《ぬかるみ》の上に、何かしら青い粉のようなものがこぼれている。よく見ると、たぶん、ついそこの荷揚場から揚げる時にこぼれたものだろう、一握りばかりの豌豆《えんどう》がこぼれている。それが適当な湿度と温度に会って発芽しているのであった。
植物の発育は過去と現在の環境で決定される。しかし未来に対する考慮は何の影響ももたない。もしそれがあるのだったら、今にも人の下駄の歯に踏みにじられるようなこんな道路の上に、このような美しい緑の芽を出すはずはない。
三
○○町の停留場に新聞売りの子供が立っていた。学校帽をかぶって、汚れた袖無しを着ていたが、はいている靴を見ると、それはなかなか立派なものだった。踵《かかと》にゴムの着いた、編上げの恰好のいい美事なのであった。少なくも私の知っている知識階級の家庭の子供の七十プロセント以上はこれよりもずっと悪いか、あるいは古ぼけた靴をはいているような気がする。
四
馬が日射病にかかって倒れる、それを無理に引ずり起して頭と腹と尻尾《しっぽ》を麻縄で高く吊るし上げて、水を呑ませたり、背中から水をぶっかけたりしている。人が大勢たかってそれを見物している。こういう光景を何遍となく街頭で見かけた。
この場合において馬方《うまかた》は資本家であり、馬は労働者である。ただ人間の労働者とちがうのは、口が利け
次へ
全7ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング