い欺されて甘やかされて、浅い上層だけに発達して来る。そうして大旱《たいかん》に逢った時に、深層の水分を取ることが出来なくなって、枯死してしまう。
 少し唐突な話ではあるが、これと同じように、目前の利用のみを目当てにするような、いわゆる職業的の科学教育は結局基礎科学の根を枯死させることになりはしないか。これは、深く考えてみなければならない刻下の重大な問題である。

         十一

 排日案に対して、フィルムや、化粧や、耳かくしのボイコットが問題になっている。
 ところが先頃ゴビの沙漠の砂の中から地質時代の大きな爬虫《はちゅう》のディノソーラスの卵を発見した米国の学者達は、今度はまた中部アジアの大沙漠へ、地質時代の人間の祖先の骨を捜しに出かける準備をしている。なんでも駱駝《らくだ》を二百匹とか連れて何年がかりとかで出かけるそうである。
 誰か、どこかで、原人の尻尾《しっぽ》の化石でも掘り出して見せる日本人はないものだろうか。そんなものの二つか三つも掘り出したら、排日問題などは容易に解決されるにちがいない。
 日本の大学へ、欧米から留学生が押しかけて来るようになったら、日本の製造工場へピッツバーグやスケネクタディあたりから、見習職工が集まって来るようになったら、そうしたら、一切のこういう問題はなくなるだろう。
 米国の排日法は、桐の一葉のようなものである。うっかりしていると、今に世界の方々の隅から秋風が来る。

         十二

 日本人のした学芸上の仕事で、相当に立派なものがあっても、日本人の間では、その価値は容易に認められない。たまたま認めている人はあっても、たいてい黙っている。認めない人は、たいてい軽々にくさしてしまう。ところがその仕事が、偶然にでも、西洋で認められて、あちらの雑誌にでも紹介される。すると、その仕事の本国における価値が急に高まるのである。ちょうど反古《ほご》同様の浮世絵が、一枚何千円にもなると同様である。それと反対に、もし外国の雑誌にでも、ちょっとした、いい加減な悪口でも出ると、それがあたかも非常な国辱ででもあるように感ぜらるる。
 こんな心細い状態が、いつまでつづくのだろう。

         十三

 日本橋その他の石橋の花崗石《みかげいし》が、大正十二年の震火災に焼けてボロボロにはじけた痕《あと》が、今日でも歴然と残っている
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