分に立って何かしら警句でも吐いてお客さんたちをあっと言わせたりくすぐって笑わせたりするのはかなりな享楽であろうと想像する事ができる。それにはいわゆるデザートコースにはいってからがきわめて適当な時機であろうという事も了解される。つまり一種の生理的の要求を満足させるための、ごちそうの献立の一つだと思えばいいのだろうと思う。ただ一つ問題になるのは、料理のほうだといやなものは食わないで済むのに、この演説だけは無理じいにしいられるという事である。
もう一つ問題になるのは、卓上演説があまりはやると、ついつい卓上気分を卓上以外に拡張するような習慣を助長して、卓上思想や卓上芸術の流行を見るようになりはしないかという事である。識者の一考を望みたい。
三 ラディオフォビア
初めてラディオを聞いたのは上野のS軒であったと思う。四五人で食事をしたあと、客室でのんきにおもしろく話をしていると、突然頭の上でギアーギアーギアーギアーと四つ続けて妙な声がした。ちょうど鶏の咽喉《のど》でもしめられているかというような不愉快な声がした。それから同じ声で何かしら続けて物を言っているようであったが、何を言っ
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