から来た捨てばちの落ち着きといったようなものがないでもない。乗客はみんな石ころであって自分もその中の一つの石ころになって周囲の石ころの束縛をあきらめているところにおのずから「三上」の境地と相通ずる点が生じて来る。従って満員電車の内は存外瞑想に適している。机の前や実験室では浮かばないようないいアイディアが電車の内でひょっくり浮き上がる場合をしばしば経験する。
「三上」の三上たるゆえんの要素には、肉体の拘束から来る精神の解放というもののほかにもう一つの要件があると思われる。それはある適当な感覚的の刺激である。鞍上《あんじょう》と厠上《しじょう》の場合にはこれが明白であるが枕上《ちんじょう》ではこれが明白でないように見える。しかしよく考えてみると枕《まくら》や寝床の触感のほかに横臥《おうが》のために起こる全身の血圧分布の変化はまさにこれに当たるものであると考えられる。問題の「車上」の場合にはこの条件が充分に満足されている事が明白である。ただむしろ刺激があり過ぎるので、病弱なものや慣れないものには「車上」の効力を生じ得ない。この刺激に適当に麻痺《まひ》したものが最もよく「車上」の能率を上げる事
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