草刈り
屋敷内に草一本ないという自覚を享楽するために、わざわざ人を雇ってまでも裏庭のすみずみまできれいに草を取ってしまう人がある。こういう人の心持ちが少なくも子供の時分にはわからなかった。なぜ草がはえていてはいけないかどうしても了解できなかった。およそ地からはえ出る植物に美しくないと思うものは一つもなかった。せっかくはえたものをむざむざむしり取るのが惜しいと思われた。旧城趾《きゅうじょうし》やその他の荒れ地に勢いよく茂った雑草は見るから気持ちがよかった。そういう所にねころんで鳥の歌、蜂《はち》のうなりを聞くのは愉快であった。油絵の風景画などでも、破れた木柵《もくさく》、果樹などの前景に雑草の乱れたような題材は今でもいちばんに心を引かれる。
東京に家を持ってからの事である。ある日巡査がやって来て、表の塀《へい》の下にひどく草がはえているから抜くようにと注意して行った。見るとなるほど、黒い朽ちかかった板塀の根にいろいろの草が青々と茂って、中には小さな花をさかせているものもあって、別にきたならしくもなんともなかった。おそらく板塀よりもその前のどぶよりもこの草がいちばん美しいものとしか思
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