いと言った理学者がある。しかし考えてみると理学者自身もうっかりすると同じような理学ファンになってしまう。相対性理論ファン、素量説ファンになる恐れが多分にある。これは警戒すべきことである。

     四 侵入者

 郊外の田舎《いなか》にわずかな地面を求めて、休日ごとにいい空気を吸って頭を養うための隠れ家を作った。あき地には草花でも作って一面の花園にして見ようという美しい夢を見ていたが、これはほんとうの夢である事がじきにわかった。せっかく草花の芽が出るころになると、たぶん村の子供らであろうが、留守番も何もない屋敷内へ自由にやって来て、一つ残らずむしり取り、引っこ抜いてしまう。いろいろの球根などは取るのにも取りやすいわけだが、小さな芽ばえでもたんねんに抜いてそこらに捨ててある。どうかすると細かく密生した苗床を草履《ぞうり》か何かですりつぶしたりする。すっかり失敗した翌年は特別な花壇を作る代わりにところどころ雑草の間の気のつきにくそうな所へ種をまいたり苗を植えたりしてみたがやはりだめであった。だれとも知れぬ侵入者は驚くべき鋭敏な感覚で、宝捜しでもするような気で捜し出すと見えて、ほとんど残りなしに抜き取ってしまうのである。たとえば向日葵《ひまわり》や松葉牡丹《まつばぼたん》のまだ小さな時分、まいた当人でも見つけるのに骨の折れるような物影にかくれているのでさえ、いつのまにか抜かれているのに驚いた。これほど細かい仕事をするのはたぶん女の子供らしい。ある時一人で行っていた時、庭のほうで子供の声がするのでガラス越しに見ると十三歳ぐらいをかしらに四五人の女の子が来て竹切れで雑草の中をつついている。自分のいるのに気がつくとお互いに顔を見合わせたきりで、別に驚いたふうも困った様子もなくどこかへ行ってしまった。
 ところがおもしろい事にはこれらの侵入者が手をつけないで見のがす幾種類かの草花がある事を発見した。それはコスモスと虞美人草《ぐびじんそう》とそうして小桜草《こざくらそう》である。立ち葵《あおい》や朝顔などが小さな二葉のうちに捜し出されて抜かれるのにこの三種のものだけは、どういうわけか略奪を免れて勢いよく繁殖する。二三年の間にはすっかり一面に広がって、もうとても数人の子供の手にはおえないようになってしまった。これらの花が土地の子供に珍しくないせいかとも思ってみたが、事実はこれに相当
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