は、作者は前句によってよび起こされた観念世界の中でどれだけの部分が前の句のそれと重合しているかを認識した上で、きれいさっぱりそれだけを切り抜いて捨ててしまわなければならない。そうして残った部分の輪郭をだんだんに外側へ外側へと広げて行くうちに適当な目標が見つかるのである。
以上述べたところからまたわれわれが連句修業の際しばしば遭遇する一つの顕著な現象を説明することができる。それは「前句が前々句に対して付き過ぎになっていると後句が非常に付けにくく、何をもって来ても打ち越しに響く」ということである。すなわち、上述の重合部が前句のほとんど全面積をおおっていて、切り捨てた残部があまりに僅少《きんしょう》になるためである。さて以上の心理から起こるアタヴィズム的傾向は連句の規約上厳重に抑制せられるから、少なくも完成した古人の連句集には原則としては現われないはずである。しかしこういう人間の本能的な傾向から起こって来る作用の効果はなかなか根強いものであって、そうそう容易に抑圧することはできないものである。それで一見したところでは毫《ごう》もこの規約に牴触《ていしょく》しない――少なくも論理的には牴触し
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