き尽くされているであろうと思う。しかし心理学的連想の実例を捜している一学究としてあらゆる芸術的の立場を離れて見たやぶにらみの目には、灰汁のしずくと油のしたたりとの物理的肖似がすぐに一つの問題の焦点となるであろう。また灰汁のしずくが次第にその流量を減じてとうとう出なくなってしまう、その量対時間関係が「油かすりて」欠乏する感じに照応するのである。これは鑑賞的には全くいわゆる「うがち過ぎ」た無用の詮議立《せんぎだ》てに相違ないのであるが、心理学的には見のがすことのできない問題である。従って創作心理の研究者にとっては少なくもひとまずは取り上げて精査してみなければならない問題である。「あぶらかすりて」の次に「新畳《あらだたみ》敷きならしたる月影に」の句がある。ここでも月下の新畳と視感ないし触感的な立場から見て油との連想的関係があるかないかという問題も起こし得られなくはない。これはあまり明瞭《めいりょう》でないが「かますご食えば風かおる」の次に「蛭《ひる》の口処《くちど》をかきて気味よき」の来るのなどは、感官的連想からの説明が容易である。
二つのものの感じの共通というのでなくて、二つのものの外面
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