おとなしいようでもあるが、これを次に来る野坡の二句「藪越《やぶご》しはなす秋のさびしき」「御頭《おかしら》へ菊もらわるるめいわくさ」の柔らかく低いピッチに比べると、どうしても違った積極的主動的の音色を思わせる。なんとなく、たとえば芭蕉がヴァイオリン、野坡《やば》がセロとでもいったような気がするのである。それから「娘を堅う人にあわせぬ」と強く響くあとに「奈良通《ならがよ》い同じつらなる細元手」と弱く受ける。「ことしは雨のふらぬ六月」(芭)はちょっと見るとなんでもないようで実ははなはだしくきつく響いており、「預けたるみそとりにやる向こう河岸《がし》」(野)は複雑なようで弱い。「ひたといい出すお袋の事」と上がれば「よもすがら尼の持病を押えける」と下がるのである。……こういうふうに全編を通じて見て行っても芭蕉と野坡の「音色」の著しいちがいはどこまでも截然《せつぜん》と読者の心耳に響いて明瞭《めいりょう》に聞き分けられるであろう。同じように、たとえば「炭俵」秋の部の其角《きかく》孤屋《こおく》のデュエットを見ると、なんとなく金属管楽器と木管楽器の対立という感じがある。前者の「秋の空尾の上《え》の
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