持ちが実によくこの楽曲終節の感じに似ているのである。
これと同様なことは歌仙の他の部分と楽曲のこれに対応する部分についてもある度までは言われるように思う。
このような、かりに「和声的《かせいてき》要素」とでも名づくべきものは、普通の詩歌の中にでもしいて求むればある程度までは求められないことはないかもしれないが、しかしそれは前の律動的要素や旋律的要素と同様に従属的なものである。しかるに連句の場合にはこれが本質的な第一義的の主要素であってこれを取ってしまえば連句はなくなってしまうのである。
以上述べたところを約言してみると、連句は音楽と同じく「律動《リズム》」と「旋律《メロディー》」と「和声《ハーモニー》」をその存立要件として成立するものである。そうして音楽の場合の一つ一つの音に相応するものがいろいろの物象や感覚の心像、またそれに付帯し纏綿《てんめん》する情緒である。これらの要素が相次ぎ相重なって律動的旋律的和声的に進行するものが俳諧連句である。従ってこれらの音に相当する要素には一つ一つとしての「意味」はあっても一編の歌仙全体にはなんらの物語の筋は作り上げない。筋はあってもそれはもは
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