しかし連句においては甲の夢と乙の夢との共通点がまた読者の多数の夢に強く共鳴する点において立派な普遍性をもっており、そこに一般的鑑賞の目的物たる芸術としての要求が満足されているのである。
以上のような連句と夢との心理の比較はまた連句の解釈という仕事に一つの新しい立場を与えるであろう。この立場から見ると従来の多くの連句の評釈は往々はなはだしく皮相的でありあるいは偏狭でありあるいは見当違いであるということになるかもしれない。また一方こういう立場から連句を研究することによって心理学者はわれわれの心理の潜在的過程に関して有益な幾多の事実を発見する機会に接するかもしれない。
これらについてはなお述べ尽くさないところもあるが、紙面の制限のためにこれまでにとどめて余事は後日に譲ることとする。もしできれば若干の実例について分析を試みたいと思うのである。
[#地から3字上げ](昭和六年七月、渋柿)
五 連句心理の諸現象
連句制作の心理と鑑賞の心理とは必ずしも一致すると限らない。作者が前句を与えられてそれに付け句を提出するまでの心理的経過はその作者に独自なものであって当人以外にはだれにもわからないものである。しかし、そうしてできあがった一連を与えられた鑑賞の目的物とする読者がその前句を味わった後に付け句に取りついてそれをはっきり見定めている間に、その読者の頭の中に起こって来る心理的過程が少なくも部分的には付け句作者の創作当初の心理を反映しなければならない。そうでなければその付け句は失敗であり、不可解である。これはいかなる芸術にもある度までは共通なことであるが、小説や戯曲のようなものではこれは第一義に属しない従属的要素である。それは作物自身が読者の心理過程の軌道を明確に指定しているからである。言わば電車や汽車のレールのようなものである。これに反して連句の場合は、言わば町から町、宿場から宿場への旅の道筋を与えられないで、ただ出発点と到着点とを指定されるだけである。その間をつなぐ道筋はいくつもあり途上の景観にもまたさまざまの異同がある。それでも、どの道筋にも共通に、たとえば富士が右手に見え近辺に茶畑が見えなければならないといったような要求が満たされなければならない。そういうわけであるから連句の場合には特に創作心理と鑑賞心理との区別を立てて考察する必要があるのである。この区別
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