言い換えると相当に年を取りそうしていわゆる苦労をしていなければできない仕事だということにもなりうるわけである。こういう立場から見ると、「連句する」ことも合奏することも、決してあだな娯楽や消閑の一相ではなくて、実は並みならぬ修行であり鍛錬であることがわかって来るのである。
トリオやカルテットぐらいならば別に指揮者を必要としないが、少し楽器が多くなって管弦楽の形をとるようになれば、もはやそれは一人のちゃんとした指揮者なしには進行することができなくなる。それと同様に連句でもおおぜいの共同に成る場合には、おそらく一人の指揮者によって始めて最善の効果を上げうるのではないかと思われる。自分は芭蕉時代の連句がいかなる統率法によって行なわれたかという事についてなんらの正確な知識をもたないのであるが、少なくも芭蕉の関与したものである限り、いずれも芭蕉自身がなんらかの意味において指揮棒をふるうてできたものと仮定してもおそらくはなはだしい臆断《おくだん》ではないであろうと思う。
管弦楽の指揮者は作曲者と同様に各楽器の特質によく通暁していなければならない。ラッパにセロの音を注文してはならない、セロにファゴットの味を求めてはならない。すべてのものの個性を理解してそれを充分に生かしつつしかもどこまでも全体の効果へと築き上げて行かなければならない。だれでもが指揮者になれない理由はそこにあり、芭蕉七部集の連句には一芭蕉の存在を必須《ひっす》とした理由もここにあり、さらにまたたとえば蕪村《ぶそん》七部集の見劣りする理由もここにあるのであろう。
芭蕉は指揮者であるのみならず、おそらくまた一種の作曲者ででもあったろうと思われる。管弦楽の作曲者の重要な仕事の一つはいわゆるインストルメンテーションであって、すなわち甲乙二つのパートが並行するとして、そのいずれをいずれの楽器に割り当て受け持たせるかによって全体の効果には著しい差違を生ずるのである。連句でも、たとえば去来の「恋」の長句の次を凡兆の「恋」の短句で受けるのと、その反対に去来の短句を凡兆の長句で受けるのとでは、だいぶちがった付け味を示すであろうし、去来の「秋」の次に凡兆の「雑《ぞう》」が現われるのと、凡兆の「秋」のあとに去来の「雑」が来るのとではやはりかなりちがった効果的特徴を示すであろう。これはおそらくたとえばスコアーの上段をフリュート下段をヴ
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