し入れから蒲団《ふとん》や行李《こうり》を引き出して荷造りをしている間にも、宿を移ったとて私はどうなるだろうと思う。叔父《おじ》さんや弟は、宿でも変えて気分を新たにしたら学校へ行けるような心持ちになるだろうという。私は学校のほうへ一歩も向かう勇気はもうない。いやだいやだと思う。室《へや》いっぱいに取り散らした荷物を見るとやはり国へ帰りたい念が強く起こる。今宿へ払う金が十円ばかりある。これで、きょう思い切って帰ろうとしきりに思う。しかし国へ帰っても自分のうちへ帰るのではない――兄と嫂《あによめ》の家――苦しい事は同じだ。私は自分をどうする事もできない。しかし私はこうしていても、ついには田舎《いなか》で貧しくとも静かに生活するという、私が自分を省みてのただ一つの望みが満たさるる時が来る事はないように思われる。この望みが、もう全く活力のない私を自分に捨てかねる原因になっている。こんな望みもなくなってほしい。前途が全く暗くなってしまったら、とこんな事を思ってポカンとしていると、弟が来てくれた。そしてただもうなんという事なしに移ってしまった。」
「夜弟と叔父さん所へ行く。こいつはもうだめだと思い
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