ながら、そのものに対する責任は尽くして行くといったような態度や弱き者に対する軽侮の笑いに対しては、生きている私は屈辱を感ぜずにはいられなかった。」
 私はここまで読んだ時に、当時の自分のどこかに知らぬ間に潜んでいた弱点を見抜かれたような気がして冷や汗が流れた。
 その次にまたこんな事がかいてある。
「自分を発展しなくてはやまない活力、これが人生を楽しむ要素である。」
 亮《りょう》がどうしてこうはげしい神経衰弱にかかったかは私にはよくわからない。一つはそのころひどく胃が悪くて絶えず痛んでいたという事が日記の中にも至るところに見いだされ、またいつであったか一度は潰瘍《かいよう》の出血らしいものがあったという話を聞いているから、この病気のためもあったに相違ない。実際その前から胃弱のためにやせこけて、人からは肺病と思われていた。
 この記事より二年前明治四十二年十一月を起点とした「どうなりゆくか」と題した彼の日記の最初のページからもうこの胃痛の記事が出て来る。そして学校の不愉快、人に対する不平、自己に対する不満、そういう感情の叙述と胃の痛みの記事とが交錯して出てくる。
 しかしこの消化器病の
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