ほかに亮を悩ましていた原因もいろいろないではなかった。それは、第一には父の春田が当時不治の病気にかかっていた事である。私は海外へ出ていてほとんど何事も知らずにいたが、日記を見るとそれに関する亮《りょう》の煩悶《はんもん》のようなものがいくらかうかがわれる。四十二年十一月七日のには、
「……近ごろ身内のものから手紙が来ると、父の病気が悪くなったのかとなんだか恐ろしい。……父の病気に対して、私の心持ちは、ただなんだか恐ろしいというにとどまる。それでいつも考えまい考えまいと努め、またそうしていられる。見舞いの手紙も一度も出した事はない。不孝の子だ。……」
「弟と通りを散歩しながら、いつになく、自分の感情の美しからざる事などを投げ出すように話した。おれは自分をあわれむというほかに何も考えない。こんな事を言った。そして弟の前に自分を踏みつけた時に少し心の安まるような心持ちがした。しかしこの絶望の声に対して少しの同情を期待したというような弱い心持ちもあったようだ。……自分は自分の生命を左右するような大事は、恐れて忘れよう忘れようとつとめる。そして日々 trifles によって苦しめられている。」
前へ
次へ
全24ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング