が先生のつもりでいたものらしい。とにかくそのころの亮と私の生活はない交ぜたもののようになっていた事がこの帳面を見てもよくわかる。
裏坪や台所などのスケッチを見ると、当時のB家のさまがいろいろ思い出されて、そのころからわずかに二十年の間に相次いでなくなった五人の親しい人々の面影を、ついそこらに見るような気がする。
私が大学へ移ったのと入り代わりぐらいに、亮《りょう》は熊本《くまもと》の高等学校へはいった。同じ写生帳の後半にはそこの寄宿舎や、日奈久温泉《ひなぐおんせん》、三角港《みすみこう》、小天《おあま》の湯《ゆ》などの小景がある。日奈久の温泉宿で川上眉山《かわかみびざん》著「鳰《にお》の浮巣《うきす》」というのを読んだ事などがスケッチの絵からわかる。浴場の絵には女の裸体がある。また紋付きの羽織《はおり》で、書机に向かって鉢巻《はちま》きをしている絵の上に「アーウルサイ、モー落第してもかまん、遊ぶ遊ぶ」とかいたものもある。
亮が後年までほとんど唯一の親友として許し合っていたM氏との交遊の跡も同じ帳面の絵からわかる。
中学時代からいっしょであったのが、高校の入学試験でM氏は通過し、
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