ってからいっしょに市外へ遠乗りに行って、帰りに亮《りょう》が落ちて前歯を一本折った事もあった。
 そのころの亮の写生帳が保存されているのを今取り寄せて見ると、何一つ思い出の種でないものはない。第一ページには十七字集と題して、幼稚な、しかし美しい夢に満ちた俳句が、紫鉛筆や普通の鉛筆でかき並べてあって、その終わりの余白には当時はやった不折流《ふせつりゅう》のカットがかいてある。また自刻の印章――ボート形の内に竪琴《たてごと》と星を刻したの――が押してある。自分の家の門や庭の芭蕉《ばしょう》などの精密な写生があるかと思うと、裏田んぼの印象風景などもある。「くいし(山名)へ行くにはどっちですか」「神社」「アツマコート」「小女山道」「昼飯」「牛を追う翁《おきな》」「みかん」「いこいつつ水の流れをながめおれば、せきれい鳴いて日暮れんとす」など、とり止めもない遠足の途中のいたずら書きらしいものもある。
 亮のかいた絵に私が題句をかいたり、亮の句に私が生意気な評のようなものをかいたりしたのもある。私はそのころ熊本《くまもと》で夏目先生に句を見てもらっていた。そして帰省すると甥《おい》に句を作らせて自分
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