く流れ出た。そんな思い出が、どういうものか、私にはまたなくなつかしいものである。
 亮《りょう》の存在が、私の頭の中で著しく鮮明になって来たのは、私が国の中学校を出て高等学校に入学し、年々の暑中休暇に帰省した時分からである。
 片田舎《かたいなか》の中学生で、さきざき高等学校から大学に進もうという志望をいだいているものにとっては、暑中休暇に帰省している先輩の言動はかなり影響のあるものである。そういうような影響もあるいはあったろうが、暑中休暇の間はほとんど毎日のように私のうちに往来した。当時どんな事が二人の話題に上ったかは思い出せないが、いずれ人生とか、運命とか、あるいは文学とか、芸術とか、そういう種類の事がおもなものであったらしい。当時若々しい希望に満ちて理想のほか何物も眼中になかった叔父《おじ》と、そろそろ家庭以外の世界に目をあけかかった感受性に富んだ甥《おい》との間には、夢のような美しい空想の国が広がっていた事であろう。
 つまりどこか気が合っていたものと見える。南国の炎天に写生帳をさげて、よくいっしょに水彩画をかきに出かけたりした。自転車の稽古《けいこ》をして、少し乗れるようにな
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