もほんとうにそう思う。
 これだけの好意を人から寄せられるには、やはりよせられるだけのある物があったに相違ない。そのある物がこの世に残っている限り、死ぬという事はそんなにさびしい事ではあるまい。
 亮には一人の子供もなかった。そして子供をほしがっていた時代もあった。死の迫るを知った時になってどう思ったかわからないが、ただなんとなくそれがさびしくはなかったかと思う。
 亮《りょう》はたしかに弱い男には相違なかった。しかし自分の弱さと戦う戦士としては決して弱くなかった。平静な水面のような外見の底に不断に起こっていた渦巻《うずまき》がいかに強烈なものであったかは今私の手もとにある各種の手記を見ればわかる。そういう意味で亮は生まれつき強い人々よりも幾倍も強い男であったかもしれない。
 亮のような柔らかい心臓と彼のような透明な脳とを同時にもって生まれるという事は、現世にあっては不幸な事かもしれない。防御のない急所を矢弾《やだま》の雨にさらすようなものかもしれない。その上にまた亮は弱い健康には背負いきれない「生」の望みを背負っていた。そういう不調和の結合から来るいろいろの苦悩は早くから亮の心を宗教
前へ 次へ
全24ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング