く療養をさせてくれた学校当局は、さらに最後の光栄を尽くさしてくれた。親しかった人々は追悼会や遺作展覧会を開いてくれ、またいろいろの余儀ない故障のために親戚《しんせき》のものだれ一人片付けに行く事のできなかった遺物の処理までも遺憾なく果たしてくれた。そしてこの処理の中に一通りならぬ濃まやかな心づかいのこもっているのを感じないわけには行かなかった。
そのほかの知友の中でも、中学時代からの交遊の跡を追懐した熱情のこもった弔詞を寄せられた人や、また亮が読むべくしてついに読む事のできなかった倉田《くらた》氏の著書の巻頭に懇篤な追悼文を題して遺族に贈られた人もあった。
私はここでそういう人々の名前をあげて感謝の意を述べたいような気がする。しかし私の頭にある故人のある資質を考えると、かえってそうしないほうがよいようにも思う。
ただそれらの人たちに対する遺族や一門の厚い感謝の念は、故人の記憶の消えない限り消える事はあるまい。
年取って薄倖《はっこう》な亮《りょう》の母すらも「亮は夭死《ようし》はしたが、これほどまでに皆様から思っていただけば、決してふしあわせとは思われない」とそう言っている。私
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