帳に亮の妻が亮の寝顔を写生したのがあるが、よく似ていて、そしてやつれはてているのがさびしい。去年の春から悪くなって、五月に某病院に入院するとまもなくなくなった。臨終は平穏であった。みんなに看護の礼を言って暇《いとま》ごいをして、自分の死後妻には自由を与えてやってくれと遺言して、静かに息を引きとったそうである。
急を聞いて国へ帰っていた亮《りょう》の弟からその時の詳しい様子を聞いた時に、私はなんだかほっとしたような心持ちがした。ほとんど予期されていた亮の最後が、それほど安らかで静かで美しいものであったと知った時には、思わず「それはよかった」といったような不倫な言葉が自然に口から出た。そうしてそのあとから水のにじみ出るようなさびしさが襲って来るのであった。
散るべくしてわずかに散らないでいた桐《きり》の一葉が、風のない静かな夕べにおのずから枝を離れて落ちたような心持ちがした。自分の魂の一部分がもろく欠け落ちて永久に見失われたというような心持ちもした。
亮《りょう》の死の報知が伝わった時に、F町の知友たちは並み並みならぬ好意を故人の記念の上に注いでくれた。生前から特別な恩典を与えて心安
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