うらしい様子もあった。しかし彼の風貌《ふうぼう》にはどことなく心の奥底のやさしみと美しさが現われていたように思う。生徒のこのあだ名から私はどうしても単純な憎悪や嫌忌《けんき》を読み取る事ができない。
友だちといっしょに酒を飲んだりする時には、どうかすると元気がよくて、いつになく高談放語したり、郷里の昔の武士の歌った俗謡をどなったりする事もあったそうであるが、これはどうもやはり亮《りょう》のおもな本性ではなかったように私には思われる。ただもう少し健康で、もう少し体力が盛んであったら、こういう方面がもう少し平生にも現われたかもそれはわからない。
弱いからだにとうとう不治の肺患が食い込んでしまった。東京の医師に診《み》てもらうために出て来て私のうちで数日滞在してから、任地近くの海岸へしばらく療養に行っていたが、どうもはかばかしくないので、学校を休職して郷里の浜べに二年余り暮らした。天気がいいと油絵のスケッチに出たりしていたようである。ほんとうに突っ込んでかきたいと思っても、ついめんどうでいいかげんにごまかしてしまうのが残念だというような事を手紙の端に書いてあったりした。そのころのスケッチ
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