》が長持ちに幾杯とかあったというような事を亮《りょう》の祖母から聞いた事がある。
 亮の父すなわち私の姉の夫は、同時にまた私や姉の従兄《いとこ》に当たっている。少年時代には藩兵として東京に出ていたが、後に南画を川村雨谷《かわむらうこく》に学んで春田《しゅんでん》と号した。私が物心ついてからの春田は、ほとんどいつ行っても絵をかいているか書を習っていた。かきながら楊枝《ようじ》を縦に口の中へ立てたのをかむ癖があった。当時のいわゆる文人墨客の群れがしばしばその家に会しては酒をのんで寄せがきをやっていたりした。一方ではまた当時の自由党員として地方政客の間にも往来し、後には県農会の会頭とか、副会頭とか、そういう公務にもたずさわっていたようであるが、そういう方面の春田居士《しゅんでんこじ》は私の頭にほとんど残っていない。
 わくに張った絵絹の上に山水や花鳥を描いているのを、子供の私はよくそばで見ていた。長い間見ていても、ほとんど口をきくという事はなかった。しかし、さも楽しそうに筆を動かしては楊枝《ようじ》をかんでながめているのを、そばで黙って見ているのがなんとなく気持ちがよかった。そこにはいつもの
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