どかな春永《はるなが》の空気があった。
 私のみならず、家内じゅうのだれともめったに口をきいている事はまれなようであったが、ただ夕飯の膳《ぜん》にきまって添えられた数合の酒に酔って来ると、まるで別人のように気軽く物を言った。四人の子供や私などを相手にしていろいろの昔話をした。若い時分に東京で習ったとかいう講釈師の口まねをしたりして皆を笑わせた。藩兵になって日比谷《ひびや》の藩公邸の長屋にいた時分の話なども、なんべん同じ事を聞かされても、そのたびに新しいおもしろみとおかしみを感じさせた。それで子供らは、そういういくつかの取っておきの話の中から、あれをこれをと注文して話させては笑いこけるのであった。夏になると裏の畑に縁台を持ち出して、そこで夜ふけるまで子供を肴《さかな》にして酒をのんでいた。どうかすると、そこで酔い倒れてしまったのを、おおぜいで寝間までかつぎ込んだものである。どうかするときげんのよくない時もあって、そういう時は子供らは近づいてはいけない事になっていた。
 春田は十二三年前に五十余歳で喉頭癌《こうとうがん》のためにたおれた。私の見た義兄は、珍しく透明な、いい頭をもっていて、世
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