の女の子がそっとのぞきに来た。黒んぼの子守《こもり》がまっかな上着に紺青《こんじょう》に白縞《しろじま》のはいった袴《はかま》を着て二人の子供を遊ばせている。黒い素足のままで。
 ホンコンから乗った若いハイカラのシナ人の細君が、巻煙草《まきたばこ》をふかしていた。夫もふかしていた。
[#地から3字上げ](大正九年七月、渋柿)

     三 シンガポール

四月八日
 朝から蒸し暑い。甲板でハース氏に会うと、いきなり、芝《しば》の増上寺《ぞうじょうじ》が焼けたが知っているか、きのうのホンコン新聞に出ていたという。かなりにもう遠くなった日本から思いがけなくだれかが跡を追って来てことづてを聞かされるような気がした。
 船客の飼っている小鳥が籠《かご》を放れて食堂を飛び回るのをつかまえようとして騒いでいた。鳥はここが果てもない大洋のまん中だとは夢にも知らないのだろう。
 飛び魚がたくさん飛ぶ、油のようなうねりの上に潮のしずくを引きながら。そして再び波にくぐるとそこから細かい波紋が起こってそれが大きなうねりの上をゆるやかに広がって行く。
 きのう日記をつけている時にのぞいた子供に、どこまで行く
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