と聞いたらスペインへと言う、スペイン人かと聞くとそうだといった。
全部白服に着かえる。
四月九日
ハース氏と国歌の事を話していたら、同氏が「君が代」を訳したのがあると言って日記へ書き付けてくれた、そしてさびたような低い声で、しかし正しい旋律で歌って聞かせた。
きのうのスペインの少女の名はコンセプシオというのだそうな。自分ではコンチャといっている。首飾りに聖母の像のついたメダルを三つも下げている。
昼ごろサイゴンの沖を通る。
四月十日
朝十時の奏楽のときに西村《にしむら》氏がそばへ来て楽隊のスケッチをしていた。ボーイがリモナーデを持って来たのを寝台の肱掛《ひじか》けの穴へはめようとしたら、穴が大きすぎたのでコップがすべり落ちて割れた。そばにいた人々はだれも知らん顔をしていた。かえってきまりが悪かった。
午後には海が純粋なコバルト色になった。
四月十一日
きょうは復活祭《オステルン》だという。朝飯の食卓には朱と緑とに染めつけたゆで玉子に蝋細工《ろうざいく》の兎《うさぎ》を添えたのが出る。米国人のおばあさんは蝋《ろう》とは知らずかじってみて変な顔をした。ハース氏に聞いてみると、
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