これは純粋なドイツの古習で、もとはある女神のためにささげた供物だそうな。今日では色つけ玉子を草の中へかくして子供に捜させる、そしてこの玉子は兎《うさぎ》が来て置いて行ったのだと教えるという。
 朝飯が終わったころはもうシンガポール間近に来ていた、そして強い驟雨《しゅうう》が襲って来た。海の色は暗緑で陸近いほうは美しい浅緑色を示していた。みごとな虹《にじ》が立ってその下の海面が強く黄色に光って見えた。右舷《うげん》の島の上には大きな竜巻《たつまき》の雲のようなものがたれ下がっていた。ミラージュも見えた。すべてのものに強い強い熱国の光彩が輝いているのであった。
 船はタンジョンパガールの埠頭《ふとう》に横づけになる。右舷に見える懸崖《けんがい》がまっかな紅殻色《べんがらいろ》をしていて、それが強い緑の樹木と対照してあざやかに美しい。
 西村氏が案内をしてくれるというのでいっしょに出かける。祭日で店も大概しまっており郵便局も休んでいる。つり橋のたもとの煙草屋《たばこや》を見つけて絵はがきと切手を買う。三銭切手二十枚を七十五銭に売るから妙だと思って聞くと「コンミッシォン」だと言った。
 九竜《
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