夕食には自分らのほかにはたいして客もなかった。デセールの干し葡萄や干し無花果《いちじく》やみかんなどを、本場だからたくさん食えと言ってハース氏がすすめた。「エンリョはいりません」など取っておきの日本語を出したりした。
夜久しぶりで動かない陸上の寝室で寝ようとすると、窓の外の例の中庭の底のほうから男女のののしり合う声が聞こえて来て、それが妙に気になって寝つかれなかった。ことに女の甲高なヒステリックな声が中庭の四方の壁に響けて鳴っていた。夫婦げんかでもしているのか、それとも狂人だかわからなかった。
五月四日
朝八時四十分に立つハース氏を見送って停車場まで行った。「きょうからわれら二人は Waisen(みなし子)になる」と言ったら、「早くベルリンへついて、Weise Kinder(賢い子)におなりなさい」と言って笑った。
電車でカンポサントへ行った。もっとさびしみのある所かと思ったら意外であった。堅い感じのする回廊の床も壁も一面に棺で張りつめてあって、あくどい大理石像がうるさいほど並んでいた。しかし中庭の芝地の中に簡単な十字架の並んでいるのは気持ちがよかった。そこには日本で見るような雑
前へ
次へ
全54ページ中45ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング