さすがに樹木の緑があって木陰には牛や驢馬《ろば》があまり熱帯らしくない顔をして遊んでいた。岸べに天幕があって駱駝《らくだ》が二三匹いたり、アフリカ式の村落に野羊がはねていたりした。みぎわには蘆《あし》のようなものがはえている所もあった。砂漠にもみぎわにも風の作った砂波《サンドリップル》がみごとにできていたり、草のはえた所だけが風蝕《ふうしょく》を受けないために土饅頭《どまんじゅう》になっているのもあった。
夜ひとりボートデッキへ上がって見たら上弦の月が赤く天心にかかって砂漠《さばく》のながめは夢のようであった。船橋の探照燈は希薄な沈黙した靄《もや》の中に一道の銀のような光を投げて、船はきわめて静かに進んでいた。つい数日前までは低く見えていた北極星《ポーラリス》が、いつのまにか、もう見上げるように高くなっていた。
スエズで買ったそろいのトルコ帽をかぶったジェルサレム行きの一行十人ばかり、シェンケの側の甲板で卓を囲んで、あす上陸する前祝いででもあるかビールを飲みながら歌ったり踊ったりしていた。
[#地から3字上げ](大正九年十一月、渋柿)
七 ポートセイドからイタリアへ
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