る、あれはいけない、どの宗教でもつまり中身は同じで、悪い事をすな、ズーグードと言うだけの事だ、などと一人で論じていた。ヴィクトリアパークの前のレストランでラムネを飲んでいたら、給仕の土人が貝多羅《ばいたら》の葉で作った大きな団扇《うちわ》でそばからあおいだ。馬丁にも一杯飲ませてやったら、亭前《ていぜん》の花園の黄色い花を一輪ずつとってくれた。N氏がそれを襟《えり》のボタン穴にさしたからT氏と自分もそのとおりにした。馬丁はうれしそうにニコニコしていた。
[#地から3字上げ](大正九年九月、渋柿)

     五 アラビア海から紅海へ

四月二十日
 昨夜九時ごろにラカジーブ島の燈台を右舷《うげん》に見た。これからアデンまで四五日はもう陸地を見ないだろうと思うと、心細いよりはむしろゆっくり落ちついたような心持ちがした。朝食後甲板で読書していたら眠くなったので室へおりて寝ようとすると、食堂でだれかがソプラノでのべつに唱歌をやっている。芸人だとかいうオランダ人の一行らしい。この声が耳についてなかなか寝られなかった。それで昼食後に少し寝たいと思うと、今度はまたテノルの唱歌で睡眠を妨げられた。
 
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