。埠頭《ふとう》から七マイルの仏寺へ向かう。途中の沼地に草が茂って水牛が遊んでいたり、川べりにボートを造っている小屋があったり、みんなおもしろい画題になるのであった。土人の女がハイカラな洋装をしてカトリックの教会からゾロゾロ出て来るのに会った。
 寺へ着くと子供が蓮《はす》の花を持って来て鼻の先につきつけるようにして買え買えとすすめる。貝多羅《ばいたら》に彫った経をすすめる老人もある。ここの案内をした老年の土人は病気で熱があるとかいってヨロヨロしていたが菩提樹《ぼだいじゅ》の葉を採ってみんなに一枚ずつ分けてくれた。カンジーにあるという仏足や仏歯の模造がある。本堂のような所にはアラバスターの仏像や、大きな花崗石《みかげいし》を彫って黄金を塗りつけた涅槃像《ねはんぞう》がある。T氏はこれに花を供えて拝していた。
 帰途に案内者のハリーがいろいろの人の推薦状を見せて自慢したりした。N氏の英語はうまいがT氏のはノーグードだなどと批評した。年を聞くと四十五だという。われわれは先祖代々の宗教を守っているのに、土人の中には少し金ができるとすぐイギリス人のまねをして耶蘇信者《やそしんじゃ》になるのがある、あれはいけない、どの宗教でもつまり中身は同じで、悪い事をすな、ズーグードと言うだけの事だ、などと一人で論じていた。ヴィクトリアパークの前のレストランでラムネを飲んでいたら、給仕の土人が貝多羅《ばいたら》の葉で作った大きな団扇《うちわ》でそばからあおいだ。馬丁にも一杯飲ませてやったら、亭前《ていぜん》の花園の黄色い花を一輪ずつとってくれた。N氏がそれを襟《えり》のボタン穴にさしたからT氏と自分もそのとおりにした。馬丁はうれしそうにニコニコしていた。
[#地から3字上げ](大正九年九月、渋柿)

     五 アラビア海から紅海へ

四月二十日
 昨夜九時ごろにラカジーブ島の燈台を右舷《うげん》に見た。これからアデンまで四五日はもう陸地を見ないだろうと思うと、心細いよりはむしろゆっくり落ちついたような心持ちがした。朝食後甲板で読書していたら眠くなったので室へおりて寝ようとすると、食堂でだれかがソプラノでのべつに唱歌をやっている。芸人だとかいうオランダ人の一行らしい。この声が耳についてなかなか寝られなかった。それで昼食後に少し寝たいと思うと、今度はまたテノルの唱歌で睡眠を妨げられた。
 
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