竜舌蘭
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)宵闇《よいやみ》の
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)幾日|義雄《よしお》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ](明治三十八年六月、ホトトギス)
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一日じめじめと、人の心を腐らせた霧雨もやんだようで、静かな宵闇《よいやみ》の重く湿った空に、どこかの汽笛が長い波線を引く。さっきまで「青葉茂れる桜井《さくらい》の」と繰り返していた隣のオルガンがやむと、まもなく門の鈴が鳴って軒の葉桜のしずくが風のないのにばらばらと落ちる。「初雷様だ、あすはお天気だよ」と勝手のほうでばあさんがひとり言を言う。地の底空の果てから聞こえて来るような重々しい響きが腹にこたえて、昼間読んだ悲惨な小説や、隣の「青葉しげれる桜井の」やらが、今さらに胸をかき乱す。こんな時にはいつもするように、机の上にひじを突いて、頭をおさえて、何もない壁を見つめて、あった昔、ない先の夢幻の影を追う。なんだか思い出そうとしても、思い出せぬ事があってうっとりしていると、雷の音が今度はやや近
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