んごちそうを食ってしまうと奥の蔵の間へ行って戸棚《とだな》から八犬伝《はっけんでん》、三国志《さんごくし》などを引っぱり出し、おなじみの信乃《しの》や道節《どうせつ》、孔明《こうめい》や関羽《かんう》に親しむ。この室《へや》は女の衣装を着替える所になっていたので、四面にずらりと衣桁《いこう》を並ベ、衣紋竹《えもんだけ》を掛けつらねて、派手なやら、地味なやらいろんな着物が、虫干しの時のように並んでいる。白粉《おしろい》臭い、汗くさい変な香がこもった中で、自分は信乃《しの》が浜路《はまじ》の幽霊と語るくだりを読んだ。夜のふけるにつれて、座敷のほうはだんだんにぎやかになる。調子を合わす三味線の音がすると、清らかな女の声でうたうのが手に取るように聞こえる。調子はずれの鄙歌《ひなうた》が一度に起こって皿《さら》をたたく音もする。ひとしきり歌がやんだと思うと、不意に鞭声粛々《べんせいしゅくしゅく》とたれやらがいやな声でわめく。
信乃が腕をこまねいてうつむいている前に片手を畳につき、片袖《かたそで》をくわえている浜路の後ろに、影のように現われた幽霊の絵を見ていた時、自分の後ろの唐紙《からかみ》がす
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