林檎が落ちてから後に万有引力が生れたのであった。その引力がつい近頃になってドイツのあるユダヤ人の鉛筆の先で新しく改造された。
 過去を定めるものは現在であって、現在を定めるものが未来ではあるまいか。
 それともまた現在で未来を支配する事が出来るものだろうか。
 これは私には分らない、おそらく誰にも分らないかもしれない。この分らない問題を解く試みの方法として、私は今一つの実験を行ってみようとしている。それには私の過去の道筋で拾い集めて来たあらゆる宝石や土塊や草花や昆虫や、たとえそれが蚯蚓《みみず》や蛆虫《うじむし》であろうとも一切のものを「現在の鍋」に打《ぶ》ち込んで煮詰めてみようと思っている。それには古人が残してくれた色々な香料や試薬も注いでみようと思っている。その鍋を火山の火にかけて一晩おいた後に一番鶏《いちばんどり》が鳴いたら蓋をとってみようと思っている。
 蓋を取ったら何が出るだろう。おそらく何も変った物は出ないだろう。始めに入れておいただけの物が煮爛《にただ》れ煮固まっているに過ぎないだろうとしか思われない。しかし私はその鍋の底に溜った煎汁《せんじゅう》を眼を瞑《つむ》って呑み
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