らくならなくてもいゝといふことを承知して居るから感心だよ」と云つて誉められて嬉しがつた事を覚えて居る。此れは併し恐らく其当時の先生自身の心境を語る意味の言葉であつたかと思はれる。
 其後唯一度帝劇で会つたことがある。東京朝日のS氏と一緒であつた。それがS氏であることは、先生が戯れに芸者か何かのような口調で「Sさん」と云つて呼びかけたので分つたのであつた。当時先生はたしかジャパンタイムス紙に筆を執つて居られたやうである。
 先生の訃報に接して市ヶ谷の邸に告別に行つたのは何年頃であつたか思出せない。其時の会葬者の中には前のS氏の顔も見えた。番町の広い邸宅に比べて、此の新居で臨終の地となつた市ヶ谷の家は何となく淋しく見えた。それでも座敷の装飾や勝手道具などの何でもないやうな処に矢張如何にも先生らしい雰囲気を感じて、中学時代の昔をなつかしく思出すのであつた。何でも、うすら寒い雨の降つたあとであつたかと思はれる。会葬者に踏み荒された庭の土があり/\と思出されるやうな気がする。



底本:「日本の名随筆 別巻75 紳士」作品社
   1997(平成9)年5月25日第1刷発行
底本の親本:「寺田寅
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