蓑田先生
寺田寅彦

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)啓示《アポカリプス》

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)くた/\
−−

 明治二十七八年の頃K市の県立中学校に新しい英語の先生が赴任して来た。此の先生が当時の他の先生達に比較してあらゆる点で異彩を放つて居た。第一に年が若くて生徒等の兄さん位に見えた。さうして年取つて黒く萎びた先生や、堂々とした鬚を立てた先生等の中に交つた此の白面無鬚の公子の服装も著しくスマートなものであつた。ズボンの折目がいつでもキチンと際立つて居るだけでも周囲のくた/\のホーズとは類を異にして居た。さうして教員室から教場へ来る迄の廊下を必ず帽子をかぶり、冬なら外套を着て歩いて来た。教場へはいつてから其の黒い中折帽子をとつて机の上におき、寒いと外套は着たまゝで授業を始めるのであつた。金縁の眼鏡を一つしやくり上げてさうして劇しく眼ばたきをして「ウェル……」といつて始めるのであつた。
 生徒等は、此の未だかつて見たことのないタイプの先生を、どう取扱つてよいかに迷つたやうに見えた。尊敬してよいのか、軽蔑してよいのか見当が付かなかつた程に此の先生の身辺を不思議な雰囲気が取巻いて居た。
 先生は子供の時分にアメリカへ行つて、それから十何年の間ずつとあちらで育ち、シカゴの大学で修学して帰朝するとすぐに、此の南海の田舎へ赴任して来たといふことであつた。郷里は鹿児島であつたが少くも見たところでは生徒等の描いて居た薩摩隼人の型には全く嵌まらない人柄であつた。
 段々馴染んで来るにつれて、此の先生の気象の鋭さがいたづら盛りの悪太郎共を押さへつけてしまつた。在来の先生なら当然困惑しなければならないやうな場面を仕組んで持つて行つても、此の先生からは一向に予定の反応を呼出すことが出来なかつた。怒るだらうと思ふと、光る眼鏡の奥の鋭い眼で笑はれたり、さうかと思ふと、思ひもかけぬ弱点を見つかつて烈しく罵倒されてすつかりおびえてしまふのであつた。兎も角も此の先生の頭の中には生徒等の今迄見て来た世界とは全くちがつた世界があるといふことが朧気ながらも子供等に感ぜられたやうであつた。
 当時漢文では孟子や八大家文集をMM先生から教はつて居た。MM先生は勿論若い時には髷を頂き大刀を腰にしたことのある人であつた。非常な
次へ
全5ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング